迷宮ダンス公演『高丘親王航海記』

演出・振付・台本:笠井叡、意匠・舞台美術:榎本了壱による『高丘親王航海記』は、澁澤龍彦の原作にしたがって、ダンスと音楽と語りと映像、イメージ豊かな衣装、舞台美術によって繰り広げられる約120分の舞台作品である。
音楽は『高丘親王航海記』のテーマと同様に、1人の男性が人生の途上で、様々な女性と出会うことを通して、次第に浄化されて天上へ上っていくというテーマを扱ったモーツァルト作曲の歌劇(ジングシュピール)『魔笛』を主軸にする。それ以外に様々の東南アジア系の音楽、中国伝統音楽、或いは現代音楽等を織り交ぜて構成されている。
原作は全部で7章にわかれている。その中で高丘親王の航海中の様々な出来事や体験が、ダンスと音楽と語りと映像を通して象徴的に描かれる。観客はそれらを通して、舞台上で展開される内容を目や耳だけではなく全身を通してカラダの内側から体験できるように進行していく。

モーツァルトの『魔笛』はモーツァルトの楽劇の中では最も明るく、長調の光に満ちた音楽世界であり、それはベートーヴェンの最晩年の作品である交響曲第9の第4楽章の『歓喜の合唱』にも通じるような世界である。

登場人物紹介

高丘親王
平城天皇の第三皇子。薬子の乱の後、仏門に入る。東寺に住み阿闍梨となり、弘法大師の弟子となる。大師入寂後、入唐求法を志し、貞観三年、唐に渡る。同七年天竺への求法の旅を決意し、広州から船に乗る。時に67歳。消息不明となり、羅越国で死去。

藤原薬子
平城天皇の寵愛を受けた女。れっきとした人妻であるにもかかわらず、宮中に深く入り込み、嵯峨天皇の世に変わった時、平城京への遷都を策し、いわゆる薬子の乱を起こすも、天皇側に敗れ、自殺。時に弘仁元年、紀元810年。薬子は、平城天皇だけではなく、幼少時代の親王とも、枕を交わす夜を重ねた。

安展
親王の従者。四十がらみの眼光の鋭い、屈強な男。豊富な海外生活の経験を持つ。若い頃は喧嘩っぱやく、狼藉の振る舞いがあって、寺から追い出される。腕っぷしには、自信がある。

円覚
親王の従者。沈着冷静で学識豊かな学者肌。アジアの様々なコトバ、仏典に明るく、親王にとっては、生き字引のような人物。百科全書派的な幅広い知識の持ち主。

秋丸
広州の港を出港する直前に、岸壁から親王の船にに駆け込んできた少年。主の家を逃げ出してきた。追っ手に見つかれば殺される。親王から「秋丸」という名前をもらい、旅の従者となる。実は、乳房を持っていることを隠し続けている女の子。

春丸
南詔国、宮廷専属の舞姫。鳥に扮して舞をまう。無断で城を逃げ出し、ふっつり行方をくらましていたところ、親王に出会う。雷に感応して、卵から生まれた卵生の娘。「春丸」の名前を親王からもらう。

パタリヤ・パタタ姫
盤盤国の太守の娘。原因不明の憂鬱症の持ち主で、さるバラモンの意見によれば、この病気には、獏の肉を食わせれば治るという。獏はことごとく夢のエッセンスを食して生きており、その肉は体内の邪気を払う効能がある。親王は自分の夢を獏に食わせ、その肉をパタタ姫が食べる。

あらすじ
序章
神々による世界創造のごとき明るさの中での舞。

第1章 儒艮(じゅごん)
船に乗って、親王、安展、円覚、秋丸が天竺に向け出航。
海上で幼少の頃の平城天皇の寵姫である薬子との想い出を思い出す。親王は、薬子より「天竺」という言葉を心の中に刻み込まれたのだった。
人間に最も近い海の動物である儒艮があらわれる。南の海に生息すると言われている幻の動物である。儒艮は一行に加わり、秋丸は言葉を教え始める。この儒艮は作者の澁澤龍彦の魂の一面を表している。
突然に大蟻喰いが出現する。大蟻喰いとは親王たちの時代よりもさらに600年後の、コロンブスの船が新大陸に着いた時に発見された生き物らしい。これは澁澤龍彦の博物学者的な側面を表すシーンである。

第2章 蘭房(らんぼう)
メコン河上流の池の中にある島を訪れる。そこは、上半身が女性、脚が鳥である王の寵姫たちが住む島である。この単孔の女性たちをである陳家蘭を親王が尋ねる。最もファンタジーに溢れるシーンである。

第3章 獏園(ばくえん)
夢を食べて生きている鬱病のパタタ姫の話。親王は獏に自分の夢を食べさせ、その獏の肉をパタタ姫が食べることによって姫の鬱病が癒される。

第4章 蜜人(みつじん)
蜜だけを食べることによって、馥郁ふくいくたるにおいのするミイラとなった蜜人を親王が砂漠に取りに行く話。

第5章 鏡湖(きょうこ)
親王は初めて、空を飛ぶ舞姫ガリョービンガに出会う。

第6章 真珠(しんじゅ)
湖に顔を映してもそこに自分の顔が写らなくなったことによって、親王は死が近いことを悟る。真珠は貝の病によってできる。親王は真珠を飲み込むことによって体に病が生じたことを知る。

第7章 頻伽(びんが)
もはや自力で天竺へ行くことができない事を悟った親王は、パタタ姫の話にそそのかされ、天竺を行ったり来たりしている虎に食われることによって天竺入りすることを進められる。親王は1人で夜、竹林に座り、虎に食われて死ぬ。

原作 澁澤 龍彥(しぶさわたつひこ)

作家、翻訳家、批評家
1928〜1987年 東京生まれ 本名 龍雄
東京大学文学部仏文学科卒業。マルキ・ド・サドやジャン・コクトーの著作を翻訳し紹介するなど日本の文化に影響を与えた。美術評論やエッセイ、後年には幻想的な小説など幅広いジャンルで活躍し多くの読者を得る。交友関係も広く、三島由紀夫、土方巽、唐十郎など多分野の芸術家たちと交流があった。
『高丘親王航海記』は澁澤の最後の作品であり、この作品で没後、1988年に読売文学賞を受賞。

高岳親王

高岳親王は物語のために作られた架空の人物ではなく史実にも登場する実在の人である。

平城へいぜい天皇の第三皇子。
桓武天皇の息子である父 平城天皇が809年に弟である嵯峨天皇に譲位した際、皇太子となる。翌年、高丘親王航海記にもでてくる藤原薬子やその兄 藤原仲成が関わった薬子の変(平城太上天皇の変)により、高岳親王は皇太子を廃され仏門に入ることとなる。
後に名誉回復がなされ四品に叙されるが、出家し真如と名乗った。空海(弘法大師)の弟子として有名で十大弟子の一人。高野山に親王院を開いたり、阿闍梨の位(人に指導ができる資格のようなもの)を授かったりと多くの活動をする。855年、地震により落ちてしまった大仏の仏頭を修理するため東大寺大仏司検校に任命された。

老年になってから唐に行くことを志した高岳親王は861年に23人の仲間とともに奈良を出発。大宰府を通り、864年に長安に到着する。しかし当時の唐の皇帝 武宗(ぶそう)は仏教弾圧の政策をとっていたため、親王は優れた師を得ることができなかった。

そのため仏教発祥の地で師を得ようと親王は天竺行きを決意する。
865年 広州より天竺に向け出発するが、その後の消息は不明。
16年後、唐からの留学僧より羅越らおう国(マレー半島の南端に位置していたと推測される)で亡くなったことが伝えられた。虎に襲われたという説もある。

現在、最期の地となったと考えられるマレーシアの日本人墓地には親王の供養塔が建立されている。